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大野市が起こした「平成大野屋事業」は「大野藩大野屋」の存在が大きく影響しています。
大野藩大野屋は、幕末に藩直営の商店として開業しました。大野の特産と他地域の特産の交易によって藩の財政に大きく貢献した、江戸時代の「第3セクター」です。
江戸時代において「商い」は商人の生業です。武家である大野藩が「大野屋」をつくったのには大きな理由がありました。
当時の大野藩には莫大な借財があり、財政が苦しい中での苦渋の決断だったのです。
その時の藩主「土井利忠(どいとしただ)」は、後世に名君として名をのこし、大野市のシンボル「越前大野城」がある「亀山」には銅像が建てられています。
その利忠を補佐し、「大野屋」の実質的な経営者だったのが、家老「内山良休(うちやまりょうきゅう)」です。藩の財政を立て直す拠点として、期待を一身に背負っていた大野藩大野屋。
その経営はどの様なものだったのでしょうか。
越前大野城
亀山
土井利忠
内山良休
当時の大野は煙草を生産しており、それをつかっての交易が大野藩大野屋の第一歩となります。
出店した場所は大阪の北久太郎町1丁目。ここを皮切りに、大野屋は全国へと店舗数をふやしていったのです。
大野の産品を他地域で販売し、その地域の産品をまた別の地域で販売するといった経営方法で、着実に利益をあげていきました。さらに開店から数年後には「洋式帆船 大野丸」を完成させ、洋上交易によりさらに収益をあげるに至っています。
最盛期には、店舗数を37店にまで増やし大野藩の財政を支える屋台骨となりました。
平成大野屋事業はかつての大野藩大野屋に習い、活動の場を全国に広めることで地元「越前おおの」の振興を図る目的で立ち上げられました。その一翼を担うのが株式会社 平成大野屋です。
藩のため利益を求めた大野藩大野屋と同様、市のため、ひいては市民の為に利益を獲得できる企業として日々業務に取り組んでいます。
その中で、越前おおのの良さを余すところなく他地域の方へお伝えするとともに、他地域からの良い情報を積極的に取り込むことで、地元の振興・発展に寄与するよう、挑戦していきます。
(株)平成大野屋は、市民と行政のまちおこし情熱から誕生しました。
大野市と大野市民132名が出資して設立された市民参加型の第3セクターの会社です。
人の流れ、物の流れをますます活発にして、地元の産業・商業・農業が今以上に繁栄していくことを目的とし、地元の生産者や農業・関係機関団体との連携をとりながらすばらしい大野を築いていくことを平成大野屋の使命としています。
写真:大野市の伝統産業である織物業の製品検査場だった洋館(左:昔の洋館、右:今の洋館)
平成10年、国の登録有形文化財となる。
(株)平成大野屋は、商業活動を展開する市民参加型の第三セクター方式による地域おこし会社として、平成11年6月に設立しました。
平成大野屋事業から新たに経済部門として、事業を展開していきます。
・地場産品の全国販売や土産品の開発・提供
・市民と観光客のネットワークづくりの場の提供
・大野ファンの拡大
写真:(株)平成大野屋設立総会